雪空かし

昨夜からの雪は、結局、今朝まで降り続いて、金沢方面はテキトーな程度には降り積もった本日、おそらく、この冬一番の積雪量なのだが、この冬一番がこれでは、やっぱり何かがおかしくなっているのかな・・・。

ということで、今朝はそれなりに雪空かしをした飼主、この冬はこれで終わりかな・・・。

昨晩はこんな感じでのんきにしていた我家なのだが
昨晩はこんな感じでのんきにしていた我家なのだが
朝になってみると少し積もっていて、少しだけ真剣なまなざし
朝になってみると少し積もっていて、少しだけ真剣なまなざし
それぞれに、緊張感を持って見つめる
それぞれに、緊張感を持って見つめる
・・・見つめる
・・・見つめる
でもその視線が捉えるのは降り積もる雪では無く、今日もやっぱり、お・や・つ、なんだな・・・
でもその視線が捉えるのは降り積もる雪では無く、今日もやっぱり、お・や・つ、なんだな・・・

フランスの現象学

さてと、本日ようやくhontoに注文してあった『フランスの現象学』が届いた(品切れじゃなかったのね)。

で、こんな具合。

私はメルロ=ポンティのある思考のモチーフに私の感謝を結びつけたい。1960年に刊行された『シーニュ』に「東洋と哲学」をテーマとする論考(「どこにもありどこにもない」所収)が見出されるが、メルロ=ポンティはその論考で、単調さ(モノトニー)に終わることなく、相互的な反響(エコー)を呼び起こす、諸文化の間の「斜交いの関係」について語っている。聞いた音を繰り返すこともあれば、変容させることもある反響は、意図的に作られた調和よりも生産的である。世界規模で音楽が交換される際に日々起こっているごとく、反響は、普遍化されはしないが、それでも、それぞれの起源の境界を超え出てゆく「思考の固有〔特殊〕言語」(Idiom des Denkens)に余地を与えてくれる。ドイツとフランスの間で可能なことが、ヨーロッパとアジアの間では可能でないとどうして言えるだろうか。異質性をやり過ごすのではなく、生産的なものにする知的な意見交換は、すべてを単一通貨に改鋳しようとするグローバル化よりも、より持続的な影響力を約束するのである。

なんともまぁ、只今の日本に挑戦的な「日本語版への序言」だこと・・・。